2015年08月29日

古事記と宇宙

喜多郎さんの新作DVD 発売日 2015/08/19 ¥4,104-
音楽: 喜多郎
企画・監修: 柴田一成 京都大学大学院 花山天文学台台長kojiki.jpg
商品説明をそのまま借りると
「歴史的評価を得た“喜多郎"の代表作「古事記」に合わせ、京都大学 花山天文台台長であり宇宙物理学者の“柴田一成"が選んだ多彩な宇宙映像の数々。」音楽が素晴らしいのはもちろんの事、学術的にも優れた宇宙映像の数々に正直驚きました。学生の教材にそのまま使えるのではないかと思い、喜多郎さんにその事を言うと「もう使われ始めているんですよ!」との答え。やはり!
喜多郎さんの奥様(恵子さん)から記念にいただいた
「喜多郎オリジナル日本手拭い」
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今日は、白山山麓太鼓まつりin郡上
明宝スキー場 野外音楽堂ソノラシアターにて
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2015年08月23日

そのB 

徳島市立考古資料館  (徳島市国府町西矢野字奥谷)
立派な施設です
出土品等を見学
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そこから少し山手に入った所にある阿波史跡公園へと向かうCIMG4750.jpg
ここには杉尾山、気延山という小山が連なり、200に及ぶ古墳が存在する。また、杉尾山自体を御神体として奉る「天石門別八倉比賣神社」(アマノイワドベツヤクラヒメジンジャ)がある。この神社は「延喜式神名帳」にも記録される正一位・阿波の一宮となる大社である。また全国に有る天岩戸(天石門)伝説の一つでもある。
御祭神 大日孁女命(オオヒルメノミコト)=(天照大神)
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拝殿CIMG4734.jpg
奥院へ続く階段CIMG4741.jpg
一帯が古墳となっており、後円付近には五角形の磐座(いわくら)の神殿がある
一説には卑弥呼の墓ともいわれる
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となりの気延山にある宮谷古墳
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この古墳から「三角縁神獣鏡」(さんかくぶちしんじゅうきょう)3点が出土している。これは畿内政権と同盟又は統合の証として下賜されたものと考えられている。DSC_021.jpg
三国志による「魏志倭人伝」に出てくる邪馬台国の場所としては、九州と近畿が有力視されているが、「剣山を『高天原』とし、そこを中心とした高地性集落の集合体を『倭』と称する」と主張する研究者もいる。尚、「卑弥呼」とは、あくまでも三国志に書かれている呼び名であり、倭国内における呼び名とは限らないという。魏を中心として書かれている正史であり、倭のために書かれたものではないからである。 
大日孁女命(オオヒルメ)→大日巫女(オオヒミコ)→卑弥呼(天照大神と同一と主張)。その真偽はともかくとしても、この一帯には九州から近畿まで深い繋がりを持つ、かなり高度な文明・文化が存在したことは紛れもない事実である。
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2015年08月22日

そのA 磐境遺跡

*白人(しらひと)神社         (美馬市穴吹町口山宮内)
*奥社・磐境(いわさか)神明神社 
ここは、古来より75人の宮人(みょうど)と呼ばれる人たちが祭祀の中心を担ってきた(現在は50人ほどに減ったそうだ)。宮人は阿波忌部族の子孫とも言われ、現在も神輿かきは宮人に限られている。宮人は、特定の家に代々世襲され、かつては厳しい潔斎をもって祭礼に臨んだとの事。
ところで、現地に到着すると何やら辺りが騒然としている。地元の方に尋ねると「数日前、境内の大木に雷が落ちて、その衝撃で鳥居が破壊されてしまった」との事。見ると、白人神社だけでなく、奥社・磐境神明神社の鳥居までも破壊されていて、この一帯に集中したとみられる落雷の爪痕が生々しく残っていた。
「修復の見積もりに来たんじゃないのか?」と・・・どうやら鳥居修復の業者と勘違いされたようだ。
白人神社の壊れた鳥居
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奥社・磐境神明神社の壊れた鳥居
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壊れた鳥居や倒木を避けながら奥社への階段を登ると、辺り一帯の空気が一変する。誠に不思議な空間である。
積石神殿
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神殿の中には、
*国常立神(くにのとこたち):始源神
*伊邪那美命(いざなみ):創造神
*天照大神(あまてらすおおかみ):太陽神
*栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ):織物の神
*瓊々杵尊(ににぎ):農業神  
 が祀られている
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旧約聖書によると「古代ユダヤの祭壇は釘や加工物を使用してはならず、天然の素材だけで作らなければならない」ということだそうだ。石を加工せず、積み上げた磐境神殿は、ユダヤ教の祭壇そのものらしい。また、神殿内の石には所々、ペテログラフという古代岩石文様が見てとれる
五角形の文様は雨乞いの印だそうだ 他にも矢印や人の顔などがある
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ユダヤの痕跡がこの場所だけで有れば、単なる偶然の一致で済まされたのかもしれない。しかし、実はここを含む剣山一帯にユダヤ伝説が存在することが、一層謎を深める要因になっているのである。
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2015年08月21日

その@ 阿波忌部

忌部(いんべ)氏(平安時代に斎部氏と改称)は、中臣氏と共に古代朝廷の祭祀を司った有力豪族。5〜6世紀までは忌部首(オビト)と名乗り祭具の作製や神殿・宮殿造営に携わったとされる。
祖は天岩戸で活躍した天太玉命(アマノフトダマノミコト)。その天太玉命に従っていた五神のうちの一神、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)が阿波忌部氏となったという。天日鷲命は、麻・穀(カジ)・木綿などを植えさせ、阿波一帯を開発した。また、麻で麁服(あらたえ)を織り天皇即位大嘗祭に貢上するという重要な役割を担った。その役割は現在まで続いており、忌部氏直系の子孫・三木氏が引き継いでいる。かつて吉野川市合併以前にあった「麻植」(おえ)という地名もこれが起源とされる。天太玉命の孫・天富命は、阿波忌部を率いて東国に渡り、その地は安房郡・のちに安房国となったと伝えられるが、これに付いては立証が乏しく後の創作話との説もある。しかし、地元の阿波郷土誌を幾つか読むと、阿波忌部氏が直接行ったのではなく、血縁関係のない忌部の民たちが東国へ渡ったと解説しているものもあった。
山崎忌部神社・吉野川市山川町忌部山(忌部山古墳群)
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平成2年大嘗祭の麁服記念碑
直系の三木氏が奉納した
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貞光忌部神社(つるぎ町)と山崎忌部神社(山川町)間において、式内比定紛争が長年続き、明治時代、妥協案として現在の徳島市内に新たに忌部神社が創祀される事になった。
忌部神社・徳島市二軒屋町 眉山の登り口
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忌・ケガレを祓う、すなわち祭りを執り行うという役割を示す。つまり斎戒の事であり、のちに「斎部(インべ)」と改称する由縁でもある。
古代より神事は皇室の重要な役割である。その神事・すなわち政(まつりごと)により世の中を掌握していた為、それに携わるという事は、自ずと政治的に重要な地位に付く事を意味した。
少し脱線するが、580年代、物部氏・(神道派、排仏派)対 蘇我氏・厩戸皇子連合(仏教導入派)の戦争は、表向きは宗教対立に見えるが、実は、祭事を司る権力闘争・つまり「政治的な主導権争い」であったとも言えるのである。



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2015年08月09日

出穂・開花

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posted by ゲンブン at 20:30| Comment(0) | 日記・エッセイ・コラム